ポッキーズ97-3の7月

報告:かいじゅうちゃん

(P.C.χjuの関連発言より転載しました。)



7月6日(日)
 ヘリ〜救急車乗り継ぎで、スムーズに南魚沼郡大和町の“YY総合病院(以前、圧迫骨折のプータローさんや神立バス事故で住安さんが入院していた)”へ運ばれました。ヘリは18時頃来ていたので、18時半前には病院に着いていたでしょう。

 私は一度宿に戻ってから、20時半には病院に着いたと思います。その時点で、ちにゃさんの左脚はシーネ(ギプスを半分にして、船状にしたもの)で固定され、心臓より高くされていました。ふくらはぎは倍以上に腫れ上がり、氷嚢で冷やされていました。血圧が低下したということで点滴を受けていましたが、痛みも収まり元気でした。  早速、先生(東京女子医大から来ている若くて背の高い、元気な女医)からX線写真で説明を受けました。左すねの丁度真ん中辺り、太い方の骨だけが「彡(→前方)」というように、やや斜めに3つに折れていました。病院までの道すがら「痛がったのはすねだからであって、折れていないのでは?」と淡い期待をしていましたがダメでした。折れた真ん中の骨は、長さが 5cmぐらい。この他に、5mm ぐらいの骨片が足首辺りにまで移動していました。
 このまま病院に留まれば、2日後には手術が受けられ、さらに5日から一週間で退院できると聞かされました。しかしこのままギプスを巻けば移動も可能ということで、私もちにゃさんもそのつもりでしたのでギプスを巻いてもらいました。戸田には近所に最新設備の大きな病院があるし。
 しかし、根津さんが車で戸田まで送ってくれると言うけれど、すぐに入院できなければ本人も回りもタイヘン。移動もリスクが大きいし、考えてみれば戸田の病院は整形外科だけがイマイチ。大和の病院は、先生も看護婦もしっかりしていそう。
 ギプスを巻いたあと体を起こすとフラつくというので、先生の指示で甘い飲み物を。ついでに本人が「ランディングしたらすぐに食べるんだ」と言っていたクリームパンもバクバク食べたので、単にお腹が空いていたことが判明。(^_^)
 根津さんの車を救急車スペースに横付けし、借りた松葉杖でヨロヨロと乗り込むところまで行ったのですが、すでに気分はこのまま入院のつもり。

 ということで、X写真のコピーと紹介状を受け取り、会計も済ませようというところで急遽変更。そのまま整形外科外来の2階にある2人部屋に入院となりました。せっかく巻いたギプスも、すぐに電気ノコギリで切り開かれました。

 この日のちにゃさんは、下着の上に伸縮率の良いレオタード地みたいな短パン,棉製ズボンにゴアテックスのスーツ,足には靴下とパラシューズを履いていました。靴下や靴の紐などは切られずに済み、ギプスを巻いたおかげで棉製ズボン以外は簡単に脱がせることができました。やっぱり余裕がなく伸縮しない棉製ズボンだけは、運び込まれた直後にハサミで切り開かれたようです。
 この他、救出中に添木止めに使われたタオルとTシャツは無くなってました。スーツごとストレッチャーに載せられていたので、葉っぱや土で汚れていました(^_^;)。

 23時近くまでいて、この日は帰りました。

7月7日(月)
 正午過ぎに病院に着くと、丁度昼食時。「七夕スペシャル」ということでおいしそうでしたが、この後もおいしい病院食が続く。考えてみれば、回りは日本一おいしい米(ブランド化しているが)がとれる南魚沼の田んぼ。それでも、地元の患者に言わせれば「混ざってる」(^_^;)。

 前日は左脚全体が腫れ上がっていたところ、この日は腫れが患部に集中し、腫れの引いたももの部分のギプスに両手を入れて遊んでいました。  相変わらず脚は高くして冷やされ、この日から消炎剤,鎮痛剤,胃薬の投与開始。夜、翌日の下半身麻酔に備えて下剤投与。

 私は世話を根津夫妻に任せ、戸田に帰りました。
7月8日(火)
 この日は手術のため絶食。手術は15時からの予定でこの時刻から根津夫妻が付き添っていたのですが、ストレッチャーに移されてから緊急手術が入って後回し。結局、手術は18時20分スタート。住安さんの訪問。

 手術は、まず脊髄に直接麻酔を打つ方法。何か怖いなぁ。本人が意識がある状態で、手術というより工事^^;;が進みます。
 あとで術後のX線写真を見せてもらいましたが、今回は髄内釘固定という方法。これは呼んで字のごとく、骨髄の中に太さ18mmの微妙なカーブの金属棒を打ち込み、それが髄内で回転しないように上下2本ずつのボルトで固定するというもの。切り開いたのは膝下だけで、あとは上部は内側,下部は外側に、ボルト打ち込み用に少々切れ目を入れる程度。患部周辺には手をつけないというものです。
 ほぼ骨と同じ長さの太い杭を打ち込むという大工事!?ですが、工事のような音は聞こえなかったそうです(^_^;)。
 いや〜写真を見ると、これが人間の体内かと思えないような状態。みんなに見せたいなぁ。

 手術は21時までかかり、根津夫妻もここまで付き合ってくださいました。時刻も遅いため、結局一日中食事にありつけず。点滴と、下半身麻酔のために膀胱に管が取り付けられ、痛みのために座薬を1回。

7月9日(水)
 私がちにゃさんの実母とともに到着すると、角度調節可能なベッドで点滴を受けていました。栄養と化膿止め。体にはたくさんの管が付いているので、病人のよう。脊髄に注射をしているので、体、特に頭部を動かすと髄液圧の変化で具合が悪くなることがあるし、後遺症が残らないようにということで暫くは安静。手術後の消毒。
 寝たきりなので、しょっちゅう体がこって痛くなるそうで、マッサージが必要。
 しかし、食事は通常どおりということ。部屋は2人部屋に1人でした。

7月10日(木)
 前日同様の安静,点滴,消毒。この日、初めて体を拭いてもらう。この日まで毎日、根津夫妻の訪問。

7月11日(金)
 予定より早く安静状態から解かれ、6人部屋(患者は4人)に移る。リハビリも始まり、CPM という機械を使って強制的な膝の曲げ伸ばし(初日は角度 100度から),筋力トレーニング,関節を動かすトレーニング,車椅子と松葉杖の練習。体拭きと、初めて洗髪をしてもらう。消毒。

7月12日(土)
 洗髪を除き、前日と同じ。車椅子にはすでに慣れ、左脚を前方に突き出した形で車椅子暴走族と化す。入院後、初めて1階に下りてみる。
 私の他、Fumiさん,駅前クン,小澤さん,望月さんの訪問。

7月13日(日)
 前日と同じで、洗髪もあり。雨が降らなかったので、初めて車椅子で屋外へ。病院玄関正面には金城山や巻機山が望め、反射板も目線で真四角にハッキリと見えます。左手には八海山と魚沼(越後)駒ヶ岳の谷間が迫り、景色がいいです。背後が水無川でその他は田んぼのためか、とてもアマガエルが多いです。明かりに集まる虫を求め、夕方になると2階の窓にまでよじ登ってきます。
 この日も、前日と同じ訪問者。院内には畳のスペースが多く、みんなでゴロゴロしてました。お見舞いじゃあないみたい。

7月14日(月)
 治療やリハビリは同じ。内出血が酷くなかなか引かないため、松葉杖では血が下がってすぐに苦しくなってしまう。ということで、車椅子は取り上げられず。介護用の風呂を使い、初めての入浴。

7月15日(火)
 入浴を除き同じ。同室の同い歳(でも子どもは中学生)の方と、車椅子で初めて自力で屋外へ。

7月16日(水)
 当初何度も後方に倒れそうになった松葉杖も、この日にはずいぶん上手くなってました。まだ掌に力を掛け過ぎらしく、痛いと。脚の腫れは目立って引いてました(でも、まだまだ真っ黒!)。
 初めて消毒に立ち会い、手術後をデジカメに収めました。切り開いたところは縦に長さ 6cmほど。ボルト用は 2,3針程度ずつです。一ヶ所、擦れて水泡ができた痕ということで、皮膚が抉れていました。

 すでに脚の筋肉はなくなってプヨプヨ。動かさないということは、怖いですねぇ。

7月17日(木)
 夜、泣きそうな声で電話をしてきたちにゃさん。留守電だったので訳が分からない。後で分かったのだが、腫れが急に引いたためか、折れた骨、または埋め込まれた太い釘が存在を主張するのだそうだ。脚を傾けると、腫れや筋肉の支えが無いためか、脚の内部でゴロッと動くような気がするらしい。
 久々に、根津夫妻の訪問。

7月18日(金)
 毎日傷口(と言っても手術痕だけど)の消毒を受けているのだが、上下2ヶ所ずつのボルト止め傷のうち、下部の縫い糸をイキナリ抜かれたそうだ。

若い身長170cm-over女医「大丈夫そうねぇ。抜いちゃうよ」
ちにゃさん「ええッ、こ、心の準備が... 」
女医「こーゆーのは、イキナリの方がいいのよ」
と、その場でプチプチ抜糸されたそうな。痛みは無いんだねぇ。

 髄内釘で固定されている以上、治療すべき傷口はこれら手術痕のみ。本来の患部はそれらの中間にあるのに、表面的には少し腫れているだけで傷は殆ど無い。ということで、看護婦が包帯を巻くときなど、この患部を無造作に扱われる傾向があるんだって。痛みは、さほどではないらしいけど。

 前日から続く痛みは収まらない。情けない声で電話してくるので、こちらも心配になってしまう。熱も出ているらしい。
 どうやら、主治医の上司やリハビリ医師に、「術後3週間からやっと足を着くことができ、その後はある程度負荷をかけられるようになってから退院」と言われたらしく、7月最後の週末には退院のつもりが1〜2週間先になったので意気消沈していたのも原因かもしれない。
 しかし、こちらに戻ってもリハビリに通うだけでタイヘン。暑いし、自分でやることも増えるので、ゆっくりして欲しいと思う。

7月19日(土)
 私が病院に着いた時点でまだ痛みは続いていて具合が悪そうだったが、沢山のお見舞い客のおかげで元気になった。夕食後の薬も効いたみたい。
 この日は、田植夫妻,みかん星人さん,みおさん,村松さん,平野さん,関茂さん,元神立高原P.G.S.からクラブ化したところのメンバ(あぷりっこクラブ員でもあるが)の女性4人,元スタッフの通称「歯」さんというお見舞い。特に、クラブ内で2番目、昨年神立高原骨折した佐川クンの話を熱心に聞いておりました。

 暗くなると、病室から遠くに、ちにゃさんの好きな花火が見えました。六日町のものです。

7月20日(日・祝)
 私はブッ飛んだので、早い時刻に病院へ。すでに、5月に骨折し退院したばかりのさいん1さん,6月に金城山で肋骨骨折をした文恵さまが着いていました。この3人は話が合うらしく、とても楽しそう。私はこの3人組に「ポッキーズ」と名づけました。これで“あぷりっこクラブ”には96-1,96-2,97-1,97-2,97-3というメンバが存在し、しかも今年の3人は3ヶ月連続。「8月には誰が来てくれるのかなー」なんて、恐ろしいことを言ってましたヨ。(・_・;;;;;;;;;;;;;;;;;;

 この夜は、浦佐の祭りで近くのゲレンデ中腹から花火の打ち上げ。病院敷地内は外出とならないので、車をギリギリ端まで寄せて花火を見ました。打ち上げ地点から良く見えて、なかなかのもの。夜は寒いほど涼しい。
 もちろんエレベータは使ってるけど、松葉杖で1階に下りるのも外に出るのも初めてのこと。

 松葉杖が上手くなったため、数日前から車椅子はガタガタの使いにくいものに取り替えられ、ベッド上で摂っていた食事は他の入院患者と一緒に広い面会所で。また、自分で洗濯も始めていますが、車椅子でないと物が運べず大変そう。車椅子は、主に物を運ぶときと遠くにあるリハビリセンタなどに行くときに使っている。

7月21日(月・休)
 私は遅くまで飛んでいたので、遅くなってつるお夫妻,結納を終えたばかりの将来の藤P夫妻とともに訪問。包帯は巻かれなくなり、傷口に傷当てパットが貼られているだけ。つまり、骨折部分は丸見え。
 腿にタップリと溜まっていた黒血はかなり消え、太さもすっかり細くなっていました。逆に松葉杖を使う機会が増えたため、黒血は主に爪先の方に降りています。

 同室の女性とパラの話をする機会が増えています。

7月22日(火)
 術後2週間。診察と抜糸の予定日だったが、先生が夏休みで少なかったのと緊急手術が入ったためX線撮影のみ。抜糸も途中まで。

7月23日(水)
 主治医の診察により、折れた方の足を着いてのリハビリの指示が出る。しかしリハビリ担当医には正式に伝わらず、この日は足を着かないリハビリ。

7月24日(木)
 リハビリ担当医に正式に荷重を掛ける許可が伝わり、リハビリ方法が大きく変わる。  まず折れた左脚ストレッチのあと、平行棒の間に体重計を置いて徐々に左脚に荷重を掛ける。ひざを伸ばした状態では、ほぼ全体重まで痛みも無くOK。ところが、膝を曲げた状態では半分も体重を掛けられないうちに不安定になり不可。やはり、相当筋力が落ちているようだ。
 続いて、平行棒を使った歩行。左足と両手を同時に使う方法で。さらに同じような手足の使い方で松葉杖も練習。松葉杖のほうは、このあと右足と左手,左足と右手を交互に使う、四つ足の動物がゆっくり歩くような方法に移行する予定。最終的には、右だけの片松葉杖へ。

7月25日(金)
 朝、初めて自力で入浴。シャワーのみだけど、介助はまったくナシ。次回は浴槽にも入れそう。

 抜糸があり、すべて終了。毎日の消毒と弱い鎮痛剤の服用は続く。

7月26日(土)
 お昼ころちにゃさんから電話があり、「なぁんだ、飛んでないんだ」と。視界が良く(フェーンのため?)反射板が良く見えたため、双眼鏡と無線機を構えて待っていたんだって。(^_^;)
 夕方着いてみると、本人の姿がない。同室の入院患者(満室になっていた)の話では、双眼鏡を持って徘徊?してるのではと。そのうち現れたときには... 歩いている! もちろん松葉杖を補助に使っているが、ゆっくりと自分の足で歩いていました。本人はゆっくりなのでイライラしていましたが、「足に血が下がる」と松葉杖を嫌がっていた頃に比べれば雲泥の差。今でもイライラが頂点に達すると、通常の松葉杖の方法で暴走族と化す...^^;; それでも、松葉杖では物を運べないので、洗濯用に車椅子が残っていました。

 この日はFumiさん,小澤さん,かえるちゃんの訪問。日中は晴れていたのに夜には雨となり、五日町の花火が中止になってガッカリ。

7月27日(日)
 左膝上の腿がとても細い。上部は当初からの筋力トレーニングで衰えは少ないものの、この部分はふくらはぎよりも細くて本人は気にしていました。元々膝が弱いので、膝を動かすトレーニングが進めなかったらしいからか。腱ばかりがこる。
 しかし、荷重トレーニングの効果は大きい。前日よりも、この日の方が確実に筋肉が増えていました。この分だと、復活は早そうに思えます。

 夕方、同室で同年代(1歳上だった)のサザンクラウドさんから、アルミ棒にグリップと前腕に支えの付いた何とか言う杖をお借りしました。この存在は知っていたのですが、腕全体で支えられる松葉杖に比べて頼りないと思っていました。
 ところが、障害者が使ってみるとこれが優れもの。松葉杖だと片方だけにしても頼ってしまうのに、この杖を使うと最初から実に自然に歩いている。使い方を練習しなくても、これに頼らず体も真っ直ぐ。どうやら、腕の自由を奪ってしまう松葉杖に比べ、肘から上が自由になるこの杖のほうが動きが良いのです。安定感も、前腕がうまく支えられて、思ったほど悪くないようでした。
 翌日、これを使いたいとリハビリ担当医に訴えると言ってました。

 入院生活も大詰め。それまではちょこちょこと必要な物を届け、持ちかえるのは本当に不要なものばかり。しかし今回は、読み終えた本や動けるようになって不要になったものなどを持ち帰りました。
 比較的空いていた病棟ですが、ここにきて入院患者が増加。ということで、退院予定日は8月2日(土)または4日(月)でほぼ決まりのようです。退院後のリハビリは実家のある新座でとの予定でしたが、かなり回復してから戻って来れそうなので戸田の自宅になりそうです。但し半年から一年後の抜釘手術は、慣れた大和でと希望しております。

7月28日(月)
 午前はCPM(自動的に膝のストレッチをする装置) と入浴,指導下のリハビリ、午後は指導下の自主トレ(指導下なのに自主?)で自転車。

7月29日(火)
 内くるぶしの痛みは捻挫が原因?と主治医に言われたが、勧められたサポータは辞退した。リハビリは、CPM,荷重練習,ロフストランド杖による歩行,階段の昇降。自主トレは、自転車で持久力テスト,ストレッチ,ロフストランドによる階段上り。
 わがまま言って借りられたロフストランドを使って、売店に買い物へ行けた。

7月30日(水)
 CPM,ロフストランドによる歩行練習→T字杖→杖なし歩行。筋力が不足気味で歩行姿勢が悪いらしく、腰が痛む。腰椎が前傾しすぎているらしいとの指摘。女性には多いとのこと。ストレッチを習う。
 骨密度を測定してもらったら、翌日「注意を要する」と言われてしまった。治療は必要ないらしいが。

7月31日(木)
 CPM,ストレッチ,杖なし歩行。杖なしで初めて、外の庭を散歩する。  医師より正式に8月2日退院の許可が出た。戸田中央病院に電話で土曜日もリハビリをやっているかの確認をし、やっているということで転医先とする。これは、通勤開始後でも業務に影響せずにリハビリするため。ダメなら、週末だけでも大和でリハビリするつもりだった。
 板前さん,かいじゅう,他の訪問。

 事故後、私は初めて“あぷりこっと”の夕食をいただきました。ほとんど、病院で済ませてたから。

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