ポッキーズ97-3の8月

報告:かいじゅうちゃん

(P.C.χjuの関連発言より転載しました。)



 8月2日の退院日以降であれば本人が書けそうなものですが、実際にはリハビリに通うだけで精根尽きてしまうようです。よって、私から見たちにゃさんの状態を書き続けます。

 入院したYY総合病院では、とにかく自力歩行できる状態にしてから退院させることに主眼を置かれて手術や治療が行われてきたようでした。
 手術は、アメリカらしい考え方から生まれた髄内釘固定術。できるだけ早く日常生活に復帰させる(大きく切り開くと回復が遅れるし、ギプスは生活に大きく支障する)ためであり、もちろんそのままパラグライディングもできる。
 リハビリも、早く体を動かせるようにするためのストレッチと普通に歩けるようにとの歩行訓練中心。歩き始めれば、おのずと失った筋力も戻るだろうと。
 結果、事故後27日,術後25日,ケガをした足への全荷重から10日目での退院となりました。そして目標どおり、気持ち補助のT字杖一本で歩いて退院したのでした。

 ところが、転医先である自宅近くのTT総合病院では方針が全く変わりました。紹介状を渡すとそれに対抗したがるのでしょうか、それとも単に以前からの病院の方針か。とにかく、相手は同じ医師なのに、その変わりようには戸惑うばかり。
 まず、一日も早い社会復帰のためにと固定された髄内釘(折れた骨の上部と下部の骨を完全に固定するため、それぞれ2本のスクリューで固定されている)は、固定しているスクリューが開けた骨の穴部分に負担がかかるとして全荷重禁止。さらに、折れた部分の骨の付きを良くするとして、その部分に刺激を与えるため術後6週をメドに下部か上部のスクリューを2本とも抜いてしまうとのこと。
 ということで、早い社会復帰を目指していたのに、TT総合病院ではイキナリ治癒(骨が繋がるということ)を目指すという大きな方針変更となったのでした。

8月1日(金)
 朝5時に起きて、敷地内の薬草園を散歩。CPM,リハビリ(自転車と杖ナシ20分の散歩)。入浴,洗濯。
 午後の自主トレは、私が見学しました。まずはマットの上でストレッチ。主に脚の筋肉と足首。それから、暑い屋外での杖ナシ散歩。屋内に戻って自転車とストレッチでした。リハビリも最終日でしたが、リハビリ担当医もこの病院最終日。終了後、ガッチリと握手しお互いの健闘を誓い合ってました。
 この日、サザンクラウドさんが以前使っていたT字杖の調整が終了。晴れてちにゃさんのものになりました。

 病院最後の夜ということで、私は早々に退散。その後、ちにゃさんとサザンクラウドさんは遅くまで話していたそうです。

8月2日(土)
 朝6時に起き、サザンクラウドさんと二人で散歩。CPM の後、手術室前の廊下で自主トレ。退院時のX線を撮り、退院の手続き。X線写真のコピーと紹介状,診断書を受け取る。

 私は、金城山で1時間半飛んだ後、途中で入院費を下ろして迎えに。4週間の入院だったが、意外と安かった。
 すでに退院の準備を殆ど終えたところで、突然Funさんがお見舞いに。ぎりぎりセーフ!

 最後に病院内のいろいろと懐かしいところを巡り(私も懐かしい!)、17時15分、ついに病院の敷地から外れ、シャバに出た。T字杖一本に麦藁帽子。入院着もなしに。
 病院そばの農協で、この辺りでは有名な“八色すいか”をお土産に買った。

 この日は“あぷりこっと”の宿泊客は多かったがすでに長岡花火に行っていたため、二人分だけ用意された夕食にビールで乾杯! もちろんビールは4週間ぶりだが、イキナリ豪華な夕食には大変だったよう。
 氷枕をお借りし、足を高くして寝る。

 こうして一応、入院生活は無事終了。歩けるようにもなったし、この後、戸田に帰ってからはリハビリで急速に社会復帰に近づく... はずだったのに。
 まだまだ、入院以上に波瀾万丈の闘病(病ではないな)生活は続くのであった。

8月3日(日)
 この日は皆は金城山フライト、ちにゃさんはランディング場で見学。ところが、テイクオフする前に雷に囲まれ、3度の雨をしのぐも最後の雷雨の前に間一髪下山。ということで、エリアはちにゃさんの大好きな雷で大々歓迎をしてくれたのでした。
 帰りは、車のリアシートで脚を高くし氷で冷やしながら。公共施設の障害者対応のチェックが始まりました。まずは、関越道駒寄P.A.のトイレは合格。入り口に一番近いところに、車椅子用トイレがありました。

8月4日(月)
 紹介状と退院時のX線写真のコピーを持ち、歩いてTT総合病院の整形外科へ。朝9時ぐらいに出かけ緊張した面持ちで待つも、いっこうに呼ばれません。確かに混んでる。しかし2日前まで病院のベッドで寝ていたちにゃさんにとって、長時間椅子に座っているのは困難。貧血気味になってしまうし、お尻の筋肉が薄くて痛がります。
 本来初診は一番人気のあるI部長医師でしたが(あとで分かった)、どうしても具合が悪いということで13時を過ぎて診察を担当したのはA医師。私は一緒に話を聞きに行こうとしましたが、ちにゃさんは振り切って一人で受診しました。
 しばらくして、ちにゃさんは泣いて出てきました。イキナリ「何しに来たの?歩いているじゃない。自分でリハビリできるでしょ?洋式の生活してるんでしょ?職場も椅子だったら、仕事もできるでしょ」と言葉を浴びせられたらしい。

 ところが、とりあえずと撮ったX線写真を見て態度が変わった。紹介状に付けたコピーとは2日しか違わないのに... まじめに見ていなかったのかなぁ。
 髄内釘を固定しているスクリューが、逆に骨を痛めそうだと両松葉杖使用の半荷重に戻されてしまいました。これでちにゃさんはまた悲しくなった。松葉杖は手が痛くなる(左手はつくのが難しいぐらいになってた)し、松葉杖では生活に支障をきたす。
 そして、YY総合病院では抜釘まで手を付ける必要ナシと言われたのに、2週間後にはスクリューの半分を抜くことに。こうした方針の変化も、不安と不審を生む。ただ、希望していたリハビリは毎日受けられることになりました。リハビリの先生はどこでもいい人ばかりだそうで、少し気持ちも和んだよう。

 リハビリも病院で方法が違い、大和のストレッチに対して戸田は筋力トレーニングとマッサージ。戸田の方法では、どちらも大きな痛みを伴うとか。

 永い一日でした。

8月5日(火)〜8日(金)
 毎日リハビリのために病院へ。片道約700mを、基本的に往路は私が付き合い、復路はちにゃさん単独で。歩くこと自体がリハビリになるのですが、片松葉杖とは言え雨だと危ないし傘は持てないのでタクシーを使うように。
 不本意にも両方借りた松葉杖は、一本を自宅内用,もう一本を外出用に。慣れたもので歩くのは速いし、散らかった^^;;自宅内も器用に動きます。しかし、物を持っての移動はできないので、基本的に家事は私。食べ物をねだる鳥の雛のようだと楽しんでるようでした。私は、退院すれば新潟に通う必要がなくなってラクになると思ったら、かえって時間が取られるのを予想してませんでした。でも、やっぱり側に置いておくと安心。

8月9日(土)・10日(日)
 土曜日はリハビリはお休みにし、退院間近のサザンクラウドさんのお見舞いにYY総合病院へ。病院も懐かしいけど、本人たちは話で盛り上がってました。本来の目的は、記載ミスの診断書の書き直し。
 YY総合病院で主治医だったM女医は、戸田で半荷重に戻されたことに大変驚いていました。若い医師なので、「対抗意識じゃないの」と宥めました。
 この他、入院患者や看護婦は懐かしい人ばかり。まだ一週間なのにね。

8月11日(月)〜15日(金)
 毎日、リハビリに通う。筋トレで使用するウエイトが、1kgから1.5,2kgへと増えていって、順調。
 この週は診察もナシ。一応退院後2週間(当初は1週間)で職場復帰と宣言していて、リハビリ担当医もそれは大丈夫そうと言われるまでに漕ぎ着けました。

8月16日(土)・17日(日)
 土曜日はリハビリお休み。皆はフライト診断で金城山へ行くも、ちにゃさんは一人“あぷりこっと”に残ってリハビリ&入浴。トイレの問題もあるし、ゆっくり広いお風呂に入れるしね。
 ところが、日曜日はランディング場に居ました。やっぱり、パイロットの血が疼くのでしょうか?

8月18日(月)
 リハビリ後、2週間ぶりの診察。今回はT医師で、誠実に受け答えしてくれる。予定していたスクリューを抜く話になったが、このスクリューにはいくつかの種類があり、専用の工具があるかどうか不明とのこと。その場でYY総合病院に電話してくれましたが、何とお盆休みと言うことで主治医がいませんでした。確認しておいてくれるということで、次回、手術日を決めましょうと。
 せめて、このT医師が担当だったらなぁ。

8月19日(火)〜23日(土)
 毎日リハビリ。このうち、22日はまたまたA医師の診察。今回は変なこと言われたらただじゃ置かないと、私も付き合いました。ところがこちらは手術日を決めに行ったつもりなのに、A医師は午後にやってしまうつもりだったらしい。目の前で手術室に電話して、「今日は患者の都合で中止になったから」だってさー。やな感じ。でも手術室と言ってたから、執刀はA医師以外ではと期待しました。
 そうそう、A医師は私をおそれてか、説明がしつこかったです。皮膚の上からスクリューに触れるからと、何度も言ってました。また、「前の病院がどういうつもりだったか分からない」とか「髄内釘が短すぎるんだよなぁ」とかいう不審な発言も多かった。

 19日は、午後も遅くなってからちにゃさん事故後初出勤。
 戸田公園駅までは歩き、この時間帯ならば駅ビルのデパートが営業中なので改札口のある2階まではエスカレータが使えます。改札口レベルからホームまでは上りのみエスカレータがあり、埼京線には階段ナシで乗れます。乗り換えの恵比寿駅にはエレベータ,上下のエスカレータとも完備。山手線に乗り換えて、目黒駅には地上改札口レベルまで上りのエスカレータがあります。駅前の大きな交差点を渡るのは恐いけど、わりと駅に近い職場には辿り着けます。
 帰りはちょっと大変で、まずは2階分狭い階段を降りなくてはなりません。それから1階分エスカレータで降りると、目黒駅の新しい目蒲線のコンコースに出ます。そこにJRの地下改札もあり、ここから山手線ホームにはエスカレータで上がれます。埼京線始発の目黒駅では必ず座れますが、戸田公園駅には降りるエスカレータがありません。またまた2階分階段を降りると、デパートの営業日で20時までなら地上へはエスカレータを使えます。
 この日は、約3時間の勤務。

 ところが、よっぽど疲れたらしく、翌20日は再びお休み。がんばって、21・22日は午後だけ出勤しました。しかし、これが最後になるとは予想もしていませんでした。

8月24日(日)
 このためにも手術を延期してもらったような、サザン・クラウド・プロジェクトのリハーサル。ちにゃさんがタンデムのパッセンジャとしてですが、約2ヶ月ぶりに飛ぶ日です。
 一部パイロットにありがちな「余計なこと(足を使おうとした^^;;)」をしてしまいましたが、無事成功。温泉にまで入ったのでした。

8月25日(月)
 いつものようにリハビリ。前日の疲れが残ってか、この日も出勤しませんでした。

8月26日(火)
 午前中はリハビリ。昼食後、予定の14時になるとまずはX線写真を撮り、手術室ではなく診察室となりの処置室に入りました。そこには、A医師が待っていました。
 手術は局所麻酔で、前回とほぼ同じ場所を切ってスクリューを取り出すだけ。今回は下部の2本で、切った長さも縫った針数も前回と同じ。最初は恐いだろうけど、それが無くなったら全荷重でいいという指示。スクリューが無くなって、安心ということか。
 術後は、かなり痛がりました。骨というよりは切ったところが。術後のX線写真を見ると、すでに骨と髄内釘の穴の位置が4mmほどズレていました。元々少し離れて固定されていたので、早速詰まったようです。デジカメを持っていけば良かった。
 抜いたスクリューを貰って帰り、重さを量ると2本で約7.5g。この分だけ体重が減ったと喜んでおりました。

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