ポッキーズ97-3の9月

報告:かいじゅうちゃん

(P.C.χjuの関連発言より転載しました。)



 戸田中央総合病院・整形外科の方針で、8月26日の手術により、髄内釘を固定していたスクリューのうち下部の骨片を固定していた2本のスクリューが抜き取られました。これは骨折部分に体重という圧力をかけ、その刺激により新しい骨の着きを良くしようというものです。
 しかしこの手術は、ちにゃさんの生活をいっぺんに不自由にしてしまいました。事故直後からの不自由な期間は主に入院生活であったため、やるべきことは最小限。特に車椅子の時代は、膝の上に物を載せて歩けて以外と便利でした。両松葉杖=何も持てない。これでは毎日病院を通うことが不自由になるばかりでなく、狭い自宅内ですら物一つ持てないのです。また、片松葉杖なら2本の杖を室内用と屋外用に使い分けられたのに、両松葉杖だと帰宅するたびに杖の足を拭き取らなければならない。
 大和で南雲さんからいただいたT字杖も戸田に戻ってからプレゼントされたロフストランドも、しばらくは飾り物になってしまったのです。

 また、戸田で主治医となったA医師の態度も我々を不安にさせました。初診の第一声「歩いているのに何しに来たの?」は論外ですが、その日撮ったX線写真を見るなり驚いて半荷重に戻すし、大和の病院を批難したり「向こうでどういうつもりでやったか分からないかえら」なんて言う。こちらは相手が同じ医師だと思っているのに、こうも態度をコロコロ変えられるとこちらがすべて判断しなければならないのかと緊張してしまいます。
 このあと、A医師は思うように治らないことを大和のせいにするにも限界を感じたのか、半ば放棄するカタチで主治の立場を部長であるI医師に譲ってしまいました。この行為こそ、不安の頂点でした。

 ところで、全面的に松葉杖に頼る状態に戻ると、左脚の機能と力をカバーするために他の筋力が使われます。これはさいん1さんも同様ですが、目に見えて、特に上半身の筋肉が発達してくるのです。どちらかと言うと華奢な上半身だったちにゃさんですが、みるみる胸板が厚くなってく。背筋や上腕の筋肉も厚くなっていくので、元々広めの肩幅がさらにシッカリしたものになり、顔が小さく見えるほどなんです。特に、遠目に見たシルエットの変わりようには驚かされます。
 また、自宅内の近距離の移動には、本当はあまりやってはいけないんだけど、元気な右脚でピョンピョン跳ねるんです。すると右太腿は筋肉で太さを増し、右大臀筋も大きく厚くなります。この右脚を使うのがラクになってくとさらに筋力がつき、貧弱な左脚や左臀部の筋肉とますます差が付いてしまうのです。
 これらの筋力がある程度増して筋肉痛がなくなる頃には、リハビリ,日常生活そのものがスポーツになります。体重は増えないのですが、良く食べ良く眠ります。これに良く体を動かすのですから、病気になろうはずがありません。退院以来、仕事をしていた頃にはしょっちゅう不調を訴えていた胃腸も含めて、病気は皆無!

 この頃になると、仕事への執着は薄れ、念頭から消えかかっています。再開は、全く考えられない状態。

8月27日(水)〜29日(金)
 この3日間は、まずリハビリに行き、終わったら手術痕の消毒という繰り返し。慣れればすぐにでも全荷重OKとは言われても、切られた傷は痛むしスクリューが抜かれて穴の空いた骨が痛む気がする。下部が自由になった髄内釘が底着きするような違和感があるし、何より骨折個所はピリピリと痛んで、特に支えを失って捩じれるのではないかという恐怖感に教われる。両松葉杖で、おそるおそる歩くのみ。
 再び包帯生活となったため、入浴にはガムテープとポリ袋でシーリングした上でシャワーのみ。それでも、ギプス無しで膝もある程度曲がるため、ラクと言えばラク。

 脚はむくむし内出血だってある。2ヶ月ぶりに黒ずんで膨れ上がった左脚に、何となくやるせなさを感じました。ずいぶん大切に扱ったつもりだったのですが、A医師の指示とは裏腹に、この時期にしては荷重をかけすぎていた(このころなら無荷重でも良かったぐらい)のです。

8月30日(土)・31日(日)
 30日は消毒のあと、それまでのガーゼに包帯ではなく、カットバンのデカイみたいなものを貼られるのみ。湯には浸けられないけど、これなら生活はラク。手術によって再来した痛みや違和感のうち、意外にも手術の傷痕の痛みがほとんど解消しました。縫い痕もいち早くキレイになったのは、唯一A医師の評価できる点かそれともちにゃさんの治癒力の強さか。

 30日は診察のあと、グランボレ経由で“あぷりこっと”へ。翌日はちにゃさんも金城山へ行き、ランディングで見学していました。車に乗っていると、脚のむくみが凄い。

9月1日(月)〜4日(木)
 手術痕の回復は順調で、この期間に消毒の処置があったのは2日のみ。あとは毎日リハビリ... のはずが、4日は行ける日(全平日と遠出しない土曜日)では初めてのサボり。またまた痛みや違和感のある状態に戻ったし、なかなか実感できない回復にナーバスになってしまったらしい。
 骨折部のピリピリとした痛みや髄内釘の底着き感,不安定感は、なかなか解消しません。

 1日からは健康保険の本人負担割合が、それまでの1割から2割にアップ。毎日同じ診療内容なので、会計で払う金額は丁度2倍になりました。こうなると、損保に入っていてもダメージを感じる程度になります。
 また、(呼んでも来てくれるところは少ないけど)雨が降ったらタクシーは必須なので、雨が多かった9月は出費が激増しました。

9月5日(金)
 A医師の不審な態度に、その後暫くは診察には付き合ってきました。この日は抜糸とともに、術後初めてX線写真を撮って経過を見る日。「歩くよりも治す」に転換された方針で、初めてその成果が確認できるはずの日でした。急に付き始めた新しい骨の姿を想像しつつも、私は泊りで出かけていて久々に立ち会えなかったのです。
 しかし、その夜ちにゃさんに電話してみると元気がない。どうも経過が悪いらしい。典型的なのは、術後はすぐ全荷重の指示が出ていたのに、半荷重に戻されたということ。これはただごとではない。

 X線写真を撮ってみると、何と骨折部分でズレが出ている。スクリューを抜く前は、脛骨全体が僅かに前方にくの字になっており、楔型の第三骨片(上下どちらの関節にも付いていない浮いた骨片)はやや前方に飛び出していて、残る上下の骨の間は 3mmほど離れていました。スクリューを抜いた直後のX線写真ですでに上下の骨の間隔は詰まり、抜いた部分の骨と髄内釘の穴の位置がズレていたのですが、この日の写真では間隔が詰まった状態を通り越し、さらに押し付けられるのに耐え切れず骨の位置がズレてしまっているのです。丁度、地球科学で言えば逆断層の状態。元々破断面は斜めだったので、圧力が過剰であればずれ上がるしか無いのは明白です。しかし、素人が気づくはずもなく、医師の全荷重の指示(実際にはとてもできなかったけど)を信じていたのに。
 この写真を見て、A医師はうろたえてしまったそうです。元々髄内釘が短かったからだとか(それが分かっていたならなぜスクリューを抜いたの?)、「杖無しで歩いたんじゃないの」,「足を引き摺ってあるいた?」なんてトンチンカンなことを口走ったり。困ったものです。
 とにかく、これまで「やってみたら失敗した」の繰り返し。医療って試行錯誤だけじゃないだろー。

 結局、全荷重は撤回(本人は、全荷重を指示していたことすら忘れてる)。さらに足を着かないようにする装具を着けるべきかどうか、自分には判断できないからI医師から受診してくれと不安を煽る。
 このことを翌日のリハビリで泣く泣く担当医に打ち明けたところ、ずいぶんがっかりされたそうです。リハビリ医はいつでもどこでも患者の目線で考えてくれてるようで、せっかく自力歩行目前だったのが半荷重以下に引き戻されたショックはちにゃさんと同じ。

 ますますの不信感です。こんなことなら、平日は自主トレ,週末土曜日のみ大和に通ってリハビリの方がよっぽど気がラクだった。何で、患者と家族がいろいろ心配したり医師を不審に思ったりしなきゃならないの?

9月6日(土)・7日(日)
 この週末はちにゃさんは出かけなかったので、土曜日もリハビリ。

 I医師に見てもらうにあたり、作戦をたてました。今までの経過を箇条書きや表にしたり、不審点を書き出したり。問題点をチャートにしたり、想定問答集も作りました。とにかく、医師が変わることをきっかけに何とかこの不安な状態から脱却したいと。
 ちにゃさんと話し合った結果、その意向により、今までの問題点を訴えたり言いたいことをすべて吐き出すのではなく、とにかく相手の出方を覗って冷静に対処することになりました。
 過去を悔やんでもしょうがない。これからどうなるのか、そこだけに絞れば集中する点は明らか。ベテランの目で見て、現状が良いのか悪いのか。
 そして、I医師が原因についてどう出るのか。A医師のように大和を批難するのか、A医師をかばうのか、病院の方針をかばうのか、患者を批難するのか。それとも、A医師の非を認めるのか、戸田の方針の非を認めるのか、はたまた平謝りなのか。
 I医師についても評価しなければならない。もし、身内をかばったり一般論に持っていこうとしたりしたら、もう戸田にはいられない。そうしたら、至近の病院を探すのか,ちにゃさんの妹関係か。それとも、懐かしい大和に戻るのか。

9月8日(月)
 意を決して、I医師の診察を受ける日。I医師は人気者で、しかもたっぷりと時間をかけて診察する。この日も、診察を受けたのは15時過ぎ。実際の診察時間は13時までなのにこの有り様です。それからリハビリに行ったので、最後はギリギリセーフ!

 作戦を書いたノートを手に、緊張した面持ちで受診。部長ということだし、それまでの印象は「偉そうな」でした。しかし印象は意外と歳をとっていたことが原因のようで、実際には(人の話を聞いているようで聞いていないA医師とは対照的に)話は聞いてくれるし「私の経験では」と言葉を添えて説明してくれる。これには頼り甲斐を感じてしまいました。
 現状については、骨ができ始めているしズレは問題ない。髄内釘があるのでこれ以上ズレることはなく、むしろ刺激を与えて骨を着かせる方が良いとのこと。また、元々脛骨というのは着きにくいところなので、気長にリハビリしましょうと。とりあえず、半荷重のままで。
 また、原因や責任については、A医師をかばうような態度はナシ。「最初から私が診ていれば良かったですねぇ(初診で本来はI医師に診てもらうはずが、待ちきれずに訴えたらA医師になってしまったという経緯あり)」とまで言われました。とにかく、手術自体は間違いではないと(表面的には)分かって一安心。「今後は私が診ましょう」とまで言われ、さらに安心感は深まりました。
 不審なこと言ったらメモしようと持っていったノートには、何も書くことはありませんでした。

 ズレというのは、上部の骨の位置がまあまあなのに対し、下部の骨が外側に4mm,後方に 2mmほど飛び出し、圧縮されて全体が 2mmほど縮んだ状態です。髄内で自由な釘があるため、これが引っかかるまでズレると最悪このような逆断層状態になります。

 その夜からほぼ毎晩、それまでやっていた脚へのマッサージに加え、左脛骨を引っ張るようなことを始めました。気休めだけど、少しでも縮むのを阻止したかったから。加えて、ズレを修正するように下部の骨を横に押したりしてね。(^_^)

9月9日(火)〜12日(金)
 毎日、仕事はせずにリハビリ。穴の空いた骨が痛むようなことはなくなったものの、骨折部のピリピリ痛や髄内釘が底を打つ感覚は相変わらず。これは痛いと言うより、餅つきみたいになって熱が出るという感じも加わります。また、固定されていない下部が捩じれるような恐怖感も根強く残ります。

9月13日(土)〜16日(火)
 前半“あぷりこっと”に出かけたため、リハビリはナシ。エリアに行くといちばんの心配はトイレなんだけど、膝はよく曲がるようになったため、この頃になると杖を支えに野○○ができるようにまでなっています。やっぱり、本能的に必要なところから回復していくのでしょうか。(^_^;) しかし、髄内釘が膝下から飛び出したりしないのかな?
 天気が悪かったため、入浴リハビリも。

 15日は月曜日ながらも祝日で、自宅で自主トレ。16日は久々のリハビリへ。

9月17日(水)
 I医師二度目の診察は、午後の部だったためリハビリの後。やっぱり診察開始は遅かった。

 X線写真を見ると、ズレはさらに進行しているように見えました。下部の外側への倒れによるズレは 5mmほどに、脛骨の圧縮も 3mmぐらいへと拡大しているようです。骨が変形してしまうのは悲しいしもしかして身長が縮んだり足首に違和感が残るかもしれませんが、まずは骨として一つになることが先決です。

 診断では、骨もでき始めているので(素人目には分かり難い)、全荷重の指示。その場で看護婦にリハビリへ電話させていました。骨のズレはこれ以上進むことは考えにくいし、関節への影響もないということですが。

 スクリューを抜いた穴では、骨と髄内釘では 1cm近くもズレています。

 ということで、退院時に出されていた全荷重指示がやっとマトモに出されたのが退院後一月半。とても永かったと感じると同時に、社会復帰への時間も退院直後とは比較にならないほど時間がかかることにもなったのです。
 事故から2ヶ月半と言う時間はあまりにも永く、左脚から筋肉と力をすっかり奪っていたのでした。
9月18日(木)〜28日(日)
 18・19日はリハビリのみ,20日も土曜日ながらリハビリへ行き、夕方から“あぷりこっと”へ。21日の南雲さんのタンデムフライトに備えるも、悪天候で実行できず。私はそのまま帰宅したのですが、ちにゃさんは再び新潟へ。旅先では私が身の回りのことをするのですが(簡単なところで、荷物を運ぶ,など)、この時は題して「一人でできるもんツアー」に初挑戦。両松葉ながら、なんとかなったそうです。
 22日(月)はリハビリをサボることとなりましたが、帰宅した翌日の24日からはマジメにリハビリへ。週末は出かけなかったものの、27日(土)はリハビリの先生が少ないということでお休み。

9月29日(月)・30日(火)
 職場が急に変わるということで、残務整理と引き揚げのために目黒に行かなければならなくなりました。両日とも午前中リハビリに行ってから出勤のハズが、月曜日はサボってしまいました。
 ひと月半ぶりの電車通勤,両松葉で荷物を持てないということで、両日とも同行しました。行きは昼過ぎ、帰りは恵比寿の始発電車に乗れるということで、なんとか座れる。でも、座ってるお客さんはなかなか冷たい。気付かないふりとか、明らかに寝たふりとか。思い当たる節、ありませんか?
 なんとか二日間でこなし、送別会も辞して目黒勤務は終了。

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