ポッキーズ97-3の10月

報告:かいじゅうちゃん

(P.C.χjuの関連発言より転載しました。)



 松葉杖を使い続けたために上半身筋肉隆々になったちゃにゃさん、筋肉の発達は下半身にも及んでいます。骨折しなかった右脚はもちろんのこと、左脚ですら骨をかばってか上腿を中心に筋肉質に。まるでボディビルダのような体形に近づいているのですが、体重は減り気味というのは... 今までムダなお肉が多かったということでしょうか?(^_^;)
 この他に、表面的な変化としては左下腿の脛毛。元々は薄目というか殆ど生えていなかったのですが、特に切株がヒットしたと思われる部分を中心にモジャモジャ。加えて、髄内釘を打ち込んだ部分にも多く生えてます。ムカシから、大事な部分!を守るために体毛があると聞いていましたが、そのとおりのようですね。

 骨折した部分は、第一・第二骨片は水平方向に数mm,第三骨片が前方に飛び出した状態で安定してしまったようです。脛の浮腫みが取れたため、それぞれの骨片の位置関係が触らなくても分かるようになりました。これらは髄内釘でこれ以上の動きを止められていますが、絶対的な安定感はありません。早く骨が生えてきて、どんな形でも仕方ないから一つになって欲しい。

10月1日(水)
 I医師、3度目の診察。この病院での再診は、診察券という名のIDカードをチェックイン機に入れて行います。いつも人気のこの医師の診察なので、この日は上位を狙って午後1時の受付開始前にチェックイン機前に並んで待ちました。そして一番で操作したら... なんと、その端末がダウン。2分後に復活したものの、順位は30番台になってしまいました。(;_;)
 リハビリ後、しばらく待って診察。リハビリの時間も入れると、3時間近く待ってのことです。
 まずはいつものようにX線写真を撮るのですが、この頃からは予め白い紙を用意しておき、X線科から整形外科に渡す途中でデジカメに収めてしまいます。その時ジックリ眺めるのですが... なーんだ、ちっとも変わってないじゃん。骨折部分に刺激を与えるためにと下部スクリューを抜いて早5週間。目立つのは、骨折部分のズレばかり。これでは、形が悪く短くなっただけで、ちっともプラスがないとガッカリ。
 ところが、診察時に2週間前の写真と比べてみると、確実に骨は生え始めている! まだ上下を繋ぐという感じではないものの、それぞれから繊維のような手を伸ばし始めている。
 なんか希望みたいなものが出てきた。ちにゃさん本人も、「歩こう」という気がしてきたようだ。

10月2日(木)
 新しい職場は、JR神田駅とJR新日本橋駅の間にあります(この二駅は、実はとっても近い)。
 この日はリハビリに行ってから。病院は最寄り駅がJR戸田公園なので、

1.戸田公園-(埼京線)-赤羽-(京浜東北線快速)-東京-(総武快速線)-新日本橋
2.戸田公園-(埼京線)-池袋-(山手線)-神田
3.戸田公園-(埼京線)-新宿-(中央線)-神田

というルートが考えられます。今回は雨の日を考えて、職場に至近の新日本橋駅にいってみようということで1.のルートで。これがタイヘンだった。
 赤羽駅は誰が使っても不便なのですが、時間をかけても松葉杖ではやっぱり大変。埼京線は3階レベルにあり、ここから階段のみで地下一階へ。再び地上にへなんと手すりの無い!階段で上がり、あとは3階レベルの京浜東北線へ。
 リハビリ,赤羽駅と疲れているのに、次の東京駅も失格。京浜東北線から通路に降りるエスカレータは無し。地上から地下3階までは2本のエスカレータで乗り継げるのに、最後の地下4階まではエスカレータが無いの。日本人お得意の机上の空論てヤツですね。
 極めつけが、国鉄時代に地下駅として誕生した新日本橋。ホームは地下4階レベルなのに、エクカレータがあるのは地下3階と地下1階の間だけ。ちにゃさんはヘロヘロ。元気なら1時間の行程を、2時間近くかけてしまいました。このルート、使われることはないでしょうね。

 しかし、この神田の職場初日挨拶に付き添ったのは良かったみたい。ちにゃさんの会社社長へのアピールが効き、仕事は翌々週からということにしてもらえ、この日も1時間そこそこで開放されました。
 帰りは神田駅から西川口駅まで乗り通し。両駅ともエスカレータ設備が無いものの、古い駅なので階段が短い(最近の高架って、やたら高くありません?)。ことらの方が使いやすいですね。
 西川口からは始発のバスが使え、バスを降りれば自宅は目の前。リハビリさえ無ければ、このルートが現実的です。

10月3日(金)〜5日(日)
 しばらく休みが続くことが分かって調子づいたのか、3日のリハビリの帰りには本当に久しぶりに片松葉に挑戦したそうです。病院からの距離の半分、たったの300mなんですが、これは復帰への大きな一歩。4日は私が付き添い、全行程を途中2回の休憩を除いて45分ほどで片松葉で歩きました。時速にして、約 1km。亀の約 2.5倍のスピードなので、「 2.5カメ」と呼んであげました。
 週末は出かけなかったので、日曜日は近所の中学校の運動会の見物がてら歩行訓練。スピードは変わらないものの、600mを歩きました。途中数歩だけ、杖無しも。久々に意欲的なちにゃさんです。

10月6日(月)〜14日(火)
 連休である10日(祝)〜12日(日)を除き(外出)、他の日はリハビリ皆勤賞。すでに片松葉が普通になってます。これで二本の杖を部屋用と屋外用に分けて使うことができ、帰宅時に杖の先を拭き取る必要がなくなりました。毎日続けているマッサージも、骨の安定とともに大胆なことができるようになりました。明らかに浮腫みは減り、左の脹脛はやっと柔らかくなりました。
 歩くのにも随分慣れたようなのですが、これが通勤となると話は違う。13日からは約束の出勤となったのですが、リハビリ後ということでかなり疲れたよう。思い通りにならない自分にムシャクシャしてか、松葉杖を投げ捨てて歩こうとしたり...
 結局、この後は「今日も行けない」と電話する毎日となりました。最後の出勤は、この13日。

10月15日(水)
 I医師、4度目の診察。今回はチェックインも上手く行き、リハビリ後にはすぐに診察されました。
 X線写真には、シロウトでも分かる新しい骨の繊維。今回は、両側から手を伸ばした新しい骨同士が一部繋がったみたいです。第三骨片の飛び出している前方はまだまだですが、後方(内部)では確実に骨が付き始めました。やっと。2ヶ月は遅い気がする。
 診察もいつもと変わりなく、これからはそれまでの隔週から3週後でいいと言われました。

10月16日(木)〜19日(日)
 ところが、16日のリハビリの帰り、突然に骨折部分の痛みが出てきました。「ピキッ」という痛みだそうで、これはスクリュー抜き手術以来ひと月半ぶり。始めたはかりの杖なし歩行の練習が悪かったのか、それとも、骨折部分のズレがついに悲鳴を上げたのか。  ということで、やっと片松葉になっていたのに、恐くて自宅内でも両松葉に逆戻り。自信が無くなってしまい、毎日「行けない」としていた職場への電話が、金曜日には「もう一週間」になってしまいました。
 ピリピリとした痛みは平静時にも起き、不安はつのります。週末は、前週に引き続き新潟へ。

10月20日(月)
 悩んでいても判断できないので、イレギュラーながら午前中のI医師の診察を受けました。容体の急変に医師は一瞬たじろぎましたが、X線写真を撮ってみると大きな変化はナシ。
 骨折部分にはしばしば筋肉などが癒着してしまうことがあり、それが離れるときに音や痛みが発生することがあるそう。しかし、癒着が剥がれるのならむしろ望ましいので、今回は特に気にすることはないとのこと。
 リハビリもマイペースで良いと言われ、さっそくこの日はサボりました。

 気にしなくても良いということで、帰りは杖無し歩行に挑戦。右脚に頼って腰が右に流れるクセを矯正する方法を研究し、この方法でゆっくりと200mほど歩きました。その後痛みはなく、疲れるまではバランスの取れた歩き方。

10月21日(火)〜23日(木)
 前日の診察により、積極的に歩くべき,リハビリはマイペースで進めて良いということになり、遅れていた新職場への初出勤を24日にすることに決めました。それまでは心機一転月曜日からの出勤にしようとしていましたが、これだとチョット疲れただけで後が続かなくなってしまっていました。そこで、翌日が休日になる日を選んだのです。
 もう一つ。月曜日から出勤しても欠勤は前日の日曜日までとなってしまい、二日分の給与と健保給付金を損してしまうという理由もあります。

 この三日間は、最後の欠勤日。
 21日は都心の曙橋で人間ドックだったため、ラッシュを避けて一緒に行きました。コースも複雑で、まずバスで出られる西川口へ行き、京浜東北線は田端まで。ここから山手線内回りで新宿に行き、最後に都営新宿線で曙橋まで。東へ西へとウロウロしたため、約2倍の1時間半ほどかかりました。帰りはリハビリ経由。
 ついに23日で、連続した休みもリハビリもおしまい。事故以来、28日間の入院と平日ほぼ毎日の通院は58日間にも及びました。

10月24日(金)
 この日から、生活は全く逆転します。初出勤に相応しいように、始業の定時である9時神田に間に合うように行くのです。
 この時刻に着くためには、自宅を8時に出れば余裕です。しかしそれでは、ラッシュのピークに巻き込まれてしまう。特に、加減速の激しいバスが混んでいては致命的。

 ということで、自宅出発は1時間早めて7時。バスは数分,電車に30分弱乗車し、8時前後に神田着。ゆっくり朝食を摂ることにしました。
 この時刻、バスは空いています。正確に言うと、次の停留所から混み始めますが、最寄りの停留所では優先席に座れます。脚が不自由だと、進行方向に向いた席は足元が狭くてダメなんですね。最近では、ステップが低いバスがあったりして感心。
 電車は... すでに混んでいます。赤羽まではまさにラッシュ状態で、単独での乗車は考えられない。すでに片松葉で歩けるのですが、ラッシュ時の殺気立った環境でアピールのために2本持っています。しかし、混雑した車内では殆ど効果ナシというか、身動きが取れない。結局、人の流動が多い赤羽辺りの停車中に「どなたか、席を譲っていただけませんか?」と叫ぶしかありません。

 しかし、憧れの「朝マック」は快適です。そして、ちにゃさんの職場のあるビルの入り口まで見送り、私はJR東日本橋駅から再出勤です。私はここからさらに約30分なのですが、家を出てから2時間半後にやっと職場です。

 帰りは、所定17時半に対して17時頃。単独での帰宅になります。比較的空いている車内では、主に女性か年配の男性が席を譲ってくださるそうです。世の若い〜中年の男性の皆さん、シャイになってる場合ではありませんよ!

10月25日(土)・26日(日)
 榛名出動が日曜日になったため、土曜日はリハビリに行けました。最初の頃は1時間近くかかっていた病院への道のりは、この日は調子が良くてなんと12分。時速3kmとは、普通の歩行速度までもう一息。

 日曜日は、飛べない榛名に行ったあと、半年ぶりのハルナ温泉へ。ヌルヌル系の温泉で滑らないかと心配だったけど、杖を持ち込んで何とかなった模様。
 露天風呂に浸かってると、女湯の方から、いかにもかえるちゃんの声で「オ゛〜」という声。あとで聞いてみると、浮腫みが消えて触ればハッキリ分かる第三骨片の飛び出しに驚いたのだそうです。

10月27日(月)〜31日(金)
 この週からしばらくの間、

月曜日 午前リハビリ,午後出勤
火曜日 早朝出勤,リハビリ休み
水曜日 休んでリハビリ,3週ごと診察
木曜日 早朝出勤,リハビリ休み
金曜日 午前リハビリ,午後出勤

とすることにしました。何事も二日続けると疲れと飽きが来てしまうため、このようにリズミカルにしたのです。リハビリも一日おきとなり、いいペース。

 この週はこの通りとなり、それまで午後出勤や休みが多かった私も生活が一変しました。この週の水曜日は診察ナシ。その代わり、リハビリ後に都心の九段の行きつけの美容院へ。もちろん事故後初めてで、サッパリしました。
 早朝出勤では、電車を1本待つ,一駅目の川口で流動化し、かつ優先席の前に行ける場所から乗るなど工夫して、必ず川口か赤羽で座っています。ただし、揺り起こしてでも声を掛けますが(^_^;)。
 出勤した日はすべて帰りは単独でしたが、事故はナシ。

11月1日(土)〜3日(祝)
 リパックオフのある週末。1日、Fumiさんが遅れて参加ということで、ちにゃさんもリハビリに行ってから参加。
 リパックオフでは、まずロープで吊るされた自分のハーネスに座って緊急パラシュートを投げてみるところから始まるのですが、ちにゃさんここで4ヶ月ぶりにハーネスを着けて投げてみました。とっても嬉しそうだったです。

 2日の金城山は人数が多くて送迎が2便あったので、1便目にちにゃさんが乗って天池の駐車場まで行きました。
 事故の日、片道切符で上がった日以来4ヶ月ぶり。あの日は初夏で緑の濃さが最高潮で雲が多かったのに、この日は抜けるような青空に魚沼三山は真っ白に輝く雪景色。大きく変わっていた景色に、ちにゃさんはどう感じたのでしょうか。

 3日は、ちにゃさんはずっと“あぷりこっと”に居て休んでいました。前日より暖かだったのですが、休養もいいでしょう。杖ナシ歩行の練習をしていたそうです。もう、ピョンピョン跳ねることはなく、調子が良ければ平坦なところなら杖ナシで歩いています。

11月4日(火)
 この週の平日は火曜日始まりですが、出勤パターンは前週のを踏襲。つまり、イキナリ早朝出勤。一度マック以外に行ったのですが、やっぱりマックに戻ってきました。職場に近く、禁煙だからかな?

11月5日(水)
 イレギュラーな診察を除くと3週間ぶり。リハビリ後、大した期待もせずに(今までは「今度こそ顕著な変化」を期待しては裏切られてた)受診したらこれが大変化! 第三骨片の上側の破断面を除き、他はすべて延びてきた骨の繊維のような細胞が繋がっている。角という角はほとんどぼやけ、影が薄くなっている。上下がズレてできた 6mmほどの飛び出しの上部にも薄っすらと骨が生え始め、第三骨片の上にもぼんやりと骨ができている。
 これまでにあった大きな変化は、ズレたの詰まったのというマイナスの変化ばかり。ここに、初めて好転の激変が現れました。やっと。
 いちばんの驚きは、宙に浮いてしまって死んでると思われた第三骨片が実は生きていたということ。血管とか神経とかも繋がっていたんですね。上下から生えてきた骨に包まれて解決すると思っていたら、第三骨片自身が再生していくなんて。

 この変化にさらに勇気づけられ、このあとちにゃさんも急速に歩けるようになっていきます。やっぱり、復活を阻害していた最大の原因は「不安感」だったのかもしれませんね。

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